中国再訪に寄せて
paleを知っている方にはもう新鮮な情報ではないかと思いますが、今年の3月に中国を再訪します。
そもそも中国に行っていたのかと言う所ではありますが、昨年12月にPest-Productionsの主催のもと、Heretoir(Ger)と2日間、Torn Shore(Pol)とは3日間大陸を廻り、北京・上海・南京の3か所でツアーを敢行しました。
中国ツアーに関する日記なども書きたかったのですが、直前にあったHexisツアーの記録も残しておきたいしなぁ〜と思ってる間にどんどんタイミングを逃し、結局何も残さないと言う体たらくだったので、今回は早めに書き始めたと言う訳です。
「そもそも日記なのだから、その日のうちに書けばええやん」という啓示を得たので、前日譚としてまずこれを書いています。
といっても今回は1日だけなので語ることもそう多くないかもしれませんが、、、
(中国自体には31日まで滞在予定なので遊んできます。)
さて、今回の経緯に関しては正直言って全く分からない部分が多く、(そう出会いはいつも突然に起こる)、今年の始めにpaleのボーカルJirocoreのMessengerにレーベル担当から「AEの中国ツアーがあるけどpaleでぇへん?めっちゃチャンスやで実際。まあ俺はあんまあいつら好きやあらへんけどな、自分らもそうやろ?」という旨の連絡が入っていた、というものでした。
そもそもJirocoreもこの連絡を10日間程放置していた、(それもどうかと思う)程のラフさで、その後話が決まった後も、告知のタイミングが謎過ぎて勝手に告知するなどを乗り越えて今に至るという感じです。
と言う訳でそっから約2ヶ月程の放置を経て(毎度の事ですね白目)、この度paleは二度目の中国ツアーwith Arch Enemy 別日にLovebites(白目 です!
それともう一つ、今回のツアーはJirocore不在なので、サポートボーカルとしてkokeshiと言うバンドのVoまりの氏が同行してくれます。
今回の件も快く快諾してくれてめちゃくちゃ良い子です、Voも最高!
機会があれば彼女のバンドも気にかけてみて下さい。
荻原 吏宮(Riku Ogihara)インタビュー
三回目の更新です。
いよいよ、Hexis公演も今週末に迫り、それなりに気が気で無いと言う状況なのですが、今回はpaleのEPのリリースツアーも兼ねていると言うことで、Demo EPと本EPのアートワークを担当した荻原 吏宮(Ogihara Riku)に話を聞きました。
また、paleとしても節目になる今回の公演で、彼の作品の展示を、11/17日(土)の小岩Bushbashにおいて行ないます。
彼と出会ったのは自分大学生の頃に、当時のバイト先で出会った仲で、かれこれ5~6年の付き合いになる流のですが、自分がpaleを始める前で仮のDemo音源を作ったり、音楽でどういう表現をしたいのかと悩んでいるころ、同じ様に絵で何かを表現することを模索していた彼とは、意気投合し、また、お互い家が近かったこともあり、よくバイト終わりに朝方まで近所を散歩したり、話をしたのをよく覚えています。
そういった経緯がある中で、荻原の作品をジャケットのデザインに据えられたことは、今でも嬉しく、誇りに思います。
そんな無類のBump Of Chicken好きの荻原 吏宮、彼が絵で何を表現したいのか、何を求めているのか、是非御一読ください。
太字:渡辺
細字:荻原
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本日は一つインタビューというか対談ということでよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
最初は基本的なことから聞いていきたいのだけど、絵を描き始めたのは具体的にいつ頃になる?
割と最初から書いてたよ。
最初からというのは?
学校上がったりする前からかな。
あー、物心つくまえから?
そうだね、描きたいときに書きたいものをかいてたよ、ピカチュウとかカクレンジャーとか
割と外で絵を描くより、家で絵をかくのが好きだった?
いや、トントンかな、外でも遊んでたし、絵も描いてたし。
じゃあ、他の子が家の中でする遊び、例えばゲームとかしたりテレビ見たり本読む代わりに絵を描いてたの?
いや、ゲームもしてたし、本も読んでたし、テレビも見てたよ(笑)
・・・・・・・・
(笑)
じゃあ、普通の子供ってことだ(笑)
う~ん、そうだね(笑)
特にこれといって絵に対する思い入れが強かったわけでもない?
そぉだねえ。
とはいえ、まあ今の年齢まで描き続けてきた理由みたいなのはある訳で、それはいつ頃だったの?
やっぱ、人生の岐路に立つときにさ、それが選択肢に上がった時は意識したってことになるのかなぁ。
なるほどね。
どういう方向に進んでこうかっていう、誰もが考えると思うけど、そん時の一つに。
絵が選択肢としてあったと。
う~ん、道としてね。
それはいつ頃?
高校の時かな、進路決めるときに。
そん時は大学に行く道を選んだのね。
そうだね、絵はどこでもいつでも描けると当時思ったんだよね。
その気持ちは今も変わってない?
基本的にはそうだよね。
でも、大学行ってからかな、絵じゃないと思って、大学進んだんだけど、そこで、絵の方向に進むことが違いますってなったときに、逆に気付いたというか。
なるほど。
でも、そこでガッと進路を変える訳でも無く、大学は普通に卒業したの?
周りにもね、周りというか両親にも、相談したし、二十歳の時かな。
こっちの方向でやってみたいんだけど、みたいなことを言って、じゃあどうするかってなって、そしたら母方のじいちゃんに、若いから、卒業してからでも遅くないって言われたんだよね。まあ、それもそうかなと思って普通に卒業したんだよ。
それで大学卒業して、すぐ東京出てきて、で美大に入りなおそうと思った。
そのころ知り合ったんだよね俺ら。
そうです。
それが大まかな道筋かな、
ま、美大は行けなかったけどね。
そうだよね、美大に入れるか入れないか、みたいな時期あったよね。
うん。
結局何年くらい受験やってた?
3回かな。
あー、長いことやったね。
でも3回なんだなぁ。
まあ、3回と言っても3年だからね、大分長いとは思うけど。
いや、4回受けたかな。
4回!大分やったよ。
やったね。
でも、なんか美大、芸大だけだったよね。
うん笑
それは、金銭的なところで?
それとも藝大以外は〜みたいな?
どっちもだよね、実際金銭的な部分もあったし、それと藝大以外に行ってもな、と言うのはあったな、偏見だけど。
今はそうでもない?
あ、でも他の国公立を受けても良かったかなと思ってる、今は。
あ〜、 ま、でも美大に入らないと言う選択肢は無かったの?
ん、でもはっきりしてたよね、一つの足がかりとしてさ、 とりあえずだったけど笑
一つの目標としてはあったということか。
そうだね。
その、絵を色々を書いている訳だと思うんだけど、 自分なりに方向性とかあったりする訳?
それ〜、良く聞かれるんだよねぇ。
わりとpaleの絵とかは抽象的なものが多い訳なんだけど、で俺もそれが気に入ってジャケに選んだりしてた訳なんだけど。
とはいえ、色々、描く訳じゃない?
モチーフがある絵も描いてた訳だし。
そおだね〜
じゃあ、解りやすく影響を受けた画家とかいるの?
影響か〜、なんか、これを見て衝撃を受けたとかは無いんだよね、強いて挙げればって言えば、何人かは勿論挙げられるんだけど、それが自分の核になってますみたいな感覚?それに向かって進んでますみたいな感覚はあんまないんだよね。
それはなんで?
なんでだろうね、だからそういうもんだからモチーフとかも選び辛いしさ、困っててさ、正直。
あー、なんか物の配置に凄いこだわりがあったりとか、モネの様に光の光源をどう描くか、みたいなことに興味がある訳ではないんでしょ?
あー、そうだね、だからモネだったら光だしさ、なんだろう人それぞれコンセプトがある訳じゃない、それをなんか、まだ、掴まえてない感じはするよね。
自分の中で定まってない?
んー、言語化は出来てないんだよね、自分の中のしっくり感みたいなものや、手応えみたいなものに向かって描こうとするんだけどさ、それがこういうものなんです、どういうテーマなんです、と言うのはいえないよね。
自分の中でそれを言葉にしようとはしてきたの?
んー、そおだねぇ、言葉にしたくないとは思う面はあるよ。
それはそうだろうね。
だから、絵を描くみたいな所もあるし。
あんまり、言葉で見つけようとも思ってなかったね。
以前に言ってたけど、自分が何に興味があって、何を知る為に絵を描いてるみたいなことを言ってたじゃない、だから、絵を描くこと自体に興味はあるけど、絵でもって何が起こるかみたいなことには興味が無いと言ってたよね。
その言い方には語弊があるけど...。
あ、そうなの。
語弊があるって言うのは、自分の絵を表現を他人に見てもらうと言うことに興味が無い訳じゃないということ?
あ〜〜〜〜。
それとも自分の気持ちを探る為に絵を描いてる訳じゃ無いと言う話?
いや、興味無くはないよ、人に発信していくということに。
それは自分が描いたものを他人と共有したいとか、見せたいとかそういう気持ち?
でも、それよりは自分が見つける方が大事だよ、自分にとっての価値を確かめるみたいな。
描くことによって?描いたものに価値がある?
描き表すこと?表現すること...?
なんだろうな...何を表現するのかみたいな、こと、
自分が...。
その絵を描いて、出来上がったものに対して、自分が何を表現しているか?
う〜ん。
ちょっと違う?
なんだかね。
ちょっと抽象的になっちゃうんだよ...。
うん。
あー、ホント感覚的な話になっちゃうんだけどさ、自分が描き表したことで、その画面が自分にどれだけ訴えかけてくるか、、、そういう感覚だよね、そういう感覚を覚えたい、味わいたい、、、んじゃないかな。
自分が描き表したことで、自分に何を訴えたいか、それが何を...。
自分になにが帰ってくるかみたいなさ、そのなんか、衝撃を、驚きを味わっていたいみたいな、気はするなぁ。
自分の中の意外性を発見したいみたいな、自分の中の知らないものを発見したい作業なの?
知らないものっていうか、そのものというか。
自分そのもの?
うん。
それは自分の中で、納得できるものとしてってことだよね?
うん、納得も伴うでしょうね。
納得したいですよ、そりゃあ。
自分に納得したい?
うん。
自分の何に納得したいの?
何に納得したいか?
うん、色々あるとおもうんだよね、例えば幼少期のトラウマがあるとか、昔から自分の中に何か気持ちがあってそれを探してるとかさ。
あ〜、そういうのもあるよね、そういう人もいるよね。おれなんにも無いんだよな、心身ともに健康に育ったし笑
笑
なんかそういう自分の中にオブゼッションとかトラウマとかも無いんだよな、なんかそういうのもあったら格好もつくし、方向性も定まると思うんだけど、そういうのもねぇんだよな笑
だから困っててさ、ほんとコンセプトが無いんだよね笑
自分の中にコンセプトが無いんだ、ある意味万人が納得する様な 自分が絵を描く理由みたいな笑
無いんだよね笑
こういう理由で絵を描きますみたいなのが、ないんだよねぇ〜、だからそれもちょっと、困る、困ることでもないんだけど笑
でも、絵を描く動機としてはどうなのってのはあるよね笑
そうそうそう、なんなんだろう見たいな笑
思うよね〜、描かない方が良いんじゃないかしらみたいな笑
もはや俺は?笑
うんうん笑
お前みたいな健康な奴が描いたところで、毒にもクスリにもなんないんじゃないかみたいな笑
でも、変な話、そういう人は結構多いんじゃないの?
モノは表現しないけど、他人が表現したものを受け取って何かを感じる人はいて、それの裏返しというか。
う〜ん。
要は自分が何者か分からない人なんて大多数いるわけでさ、でも何者かになりたくて他人の表現を得ようとしたりとか...。
でもあれかな、何者かになりたいのかね、
ああ〜、何かになりたくて、絵を描き続けている?
う〜ん。
自分は普通の人間じゃないとホントは思いたくて、でも、それがどうか分からないから、それを探す為に絵を描き続けてる?
いや、でも結局普通の人間なんだよね。
ていうのは、最近すごく思うよ。
平凡な?
そうそう、平凡な。
それは自分に秀でた才能がある訳でもなく?
うん。
だから、非凡なもの?自分じゃない何かになろうとしてもさ、無理じゃないすか、自分じゃないものは、自分の中からは出て来ないからさ。
そうだね。
だからそこは最近諦めつつあってさ笑
それはいいことだよね、結構大事な部分だと思う。
俺も結構そういうとこあって、なんか偉そうにしてるところとかあるけど、
お前偉そうだよな笑
それはなんか自分に才能があるからとかそういうことではなくて、性質としてそういうところがあるぐらいの感じで、自分に才能があると思ってたりはしてないんだよね。
地に足つけた方が良い。
そういうこと。
多分その製作に対してもさ、自分の中にちゃんとあるものを、素直に出した方がさ
まあ、その能力を持つのも大変なことだけどね。
そうだねー。
それができる人ってなかなかやっぱりいないわけだから、まあ芸術みたいなが成り立ってるする訳よね。
だから、その凄い平凡に言うと自己表現ですよ。
文字通り。
自分とは何か。
そこ素直に、なんか出せていったら、、、描くことでね。
一応の納得はするんじゃねぇの。
別に、スーパーマンになれはしねぇけどさ、スーパーマンじゃねぇ訳だけどさ、なんかそこで、形になって、しっくり来る部分と言うか、よそ様から見て形になってる部分みたいなとこを探り当てられたらいいんじゃねーのかなって最近思うよ。
なるほどね。
心の傷とかあれば、分かりやすくていいんだけどね、無いからね笑
それが絵に繋がったとかも、無いし。
でも、絵を描く時にさ、色々原動力がある訳じゃん。
なんか自分なりにこう衝撃を受けた時に、何かしらの感情があって描くわけでしょ。
でもそういう時って、来た時と同じくらい急に消えちゃうから、そういうとこだけで描いててもなって思うよ。
俺はもっとフラットになった時にさ、まるで仕事をするようにさ、描き続けていって、出てくるものの方が、多分絵との向き合い方として、俺はそうするべき部類の人間というか、画家だと思う。
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paleのジャケに使った2枚の絵はさ、どういうイメージで描いてたのかみたいなのは聞きたいところではあるな。
どうしてでも人は絵を見た時に何らかの反応するわけでさ。
はいはい
あの二枚の絵は凄い抽象的な絵でさ、どちらかと言うと悶々としている様な、今お前が出した様な結論を経てから、描いた絵ではないとは思うんだけど。
意図?
なんというか自己表現的なところで絵を描いてるわけじゃないと言うか、ある意味自己表現の枠ではあるんだけど、今出た結論の中にはあんまりコンセプト的なところはなかったりして、そういう様な、描き方なんか、自分の、なんでもいいんだけど、衝動的なものとか、何か根源的なところに、端を発するというより、自分とは何か?見たいなことを探す為の作業として絵を描いていて、とはいえ、絵の描き方としてはなんかそういうよりは、ちょっと自分を探すとよりは、なんか淡々と絵を描くみたいなことが笑
お前まとめるの死ぬ程下手だな笑
いやー、シンプルにまとめても良いんだけど笑
シンプルにまとめるとー笑、自分は別に、絵を描くことが目的ではなくて、自分が何であるか?みたいなことを探してるけど、自分が絵を描くっていうこと、自体に何の意味もないみたいなこと言ってるから、すごいまとめ辛いんだよ、これ笑
笑
そのよくよく考えると矛盾をすごい孕んでいる様な
ママママ、矛盾はなんにでもあるよね、心地悪くはない矛盾だよ、俺にとっては。
お前にとっては?
うん。
まあ、ある意味芸術をやっている人の様な反応ですよね
適当だな〜笑
いや〜、でもそうとしか言えないよ笑
ていうかね、言葉にするとさ、そう表現せざるを得ないんじゃない。
もちろんそうなんだけど、だから矛盾する様なことを言ってしまうと言うのは、ある意味正解で、これが分かる人と分からない人では大きな開きがあるのではないかなと。
なるほどね、聞く奴が聞けばこいつは筋の通らない奴だって思うかもしれないね。
そう、だから聞く人によってはウダウダ言ってるだけでよくわかんねぇ奴、で終ってしまうんだけど。でも、それは当たり前と言うか。
そういう奴は放っとけば良い、捨てておけば良い。
まあね笑
でも、そういうことが分かんない人の方が意外と多かったりするからね。
う〜ん。
そういう奴はアレだよ、この絵は何を表現しているか、とか考えちゃうやつだよ、入り口を間違えてるんだよ、入り口を間違えてる奴は入って来なくていいんだよ。
*1〇〇なんだよ。
あ〜
俺も考えたけどね、お前の絵を見て、こいつは何をしたかったんだろうな〜ってのは考えたよ。
う〜ん。
ただ単純に見た目の印象として、これはいいなぁみたいなのが一番大事ではあるんだけど、何かしら人って説明したり、理由付けを求めたりする訳だから、なんでもいいんだけど言葉として提示された方が安心するっていいうのは。
一つ言えるのは画家が他の人とすごく、その一線を画してるなっていう感覚、の一部はね、色とか造形とかに関する価値観だよ。
抽象画なんて最たるもんでさ、その色のバランスと画面上のバランスが良ければ、あ、これは良い絵だって思えちゃうし、その形がどんな形をとっていようとね。
うん。
そこで、色の並びを見てあ、こういうセンスなんだ、こういう絵画的、色彩センスの人なんだということがわかっちゃうからさ、それはちょっと理解、理解するというものではないのかもしれないね。
そうだね、もっと感情とか本能に近い部分何だろうね、共感でもないけど、納得しやすいというかなんというか。
それは絵画的理解なんですよ。
絵画的理解?
そういう言葉は無いと思うけど、言うなれば、そういう、既存の言葉で表現するとしたらそういう言葉になると思う。
じゃあ、絵画的理解と言う言葉があるとして対になる言葉あるとしたら何なるの?
絵画的理解の対の言葉?
う〜ん、なんか今造語というか、表現に対する理解の言葉としてこの言葉が出て来た訳だけど、これに対していまいちピンと来ないというか。
論理的整合性じゃない?
一気に偏差値上がってきたんじゃないこれ?笑
いや、言葉にダマされちゃいけない。
絵画的理解と論理的整合性...。
誰だってそうだけど、人の話をさ、自分の文脈に置き換えようとするじゃん。
見えてるものをさ、「あ、これもしかすると何か猛り狂った、豚の、なんか、右足の蹄の形かもしれない」みたいなことを思ったりする訳じゃん。
自分の分かる範囲内にモノを置こうとするみたいな。
そうそう。
でも、それはひとつ、なんか造形的なというか、形の上での理解でしかないし、自分の話を自分の文脈として判断する。
でも、そんな自分の文脈の上で判断したところで、理解したところでって話じゃないですか、でってなる訳じゃないそこですぐに。
有名てか、分かりやすく言うとセンター試験の設問の回答は、別にその作者が意図してることじゃないみたいな話あるよね。設問の回答を見て作者が違和感覚えるみたいな。
へ〜。
ま、その話とは違うと思うけどね、それは文脈を取り違えた話だね。
でも、個人の経験からその絵をこうだって判断するのは、文脈の取り違えに至るんじゃないの?
あー、そうだね、絵画的文脈をその人がどの程度分かっているかにもよるよね。
まぁ、でもこれは難しい話でさ、別に個人の楽しみ方はある訳だから、それを一方的にお前の絵画に対する姿勢は違う、みたいなこと言うとまた話がこじれてくる。
そういうこと言う人って多いイメージあるな。
で、現代アートなんてさ、そういう文脈がさらに強固に、かなりシステマチックになっててさ、でそこさえ則ってれば、もうオーケーみたいなとこあってさ、で、しかもそれかなり分かり辛いんだよね。
へー。。
例えば?
俺も、文脈が強固って言うのは何となく分かるんだけど、単純な絵に関する教養とか?それとも、時代背景とか絵画の技法とか?
モチーフの方が多いかな、政治的な背景とかさイデオロギーとかさ、肌の色とかさ。
現代美術と言うのはマルセル・デュシャン以降ということ?
それ以降で良いんじゃない?
デュシャン以降の現代美術的な解釈は固定化されていて...?
固定化と言うか、文脈を受けてある画家は変化させていくし、またそれは流れになっていくし、で、流れが出てきたと思ったらその流れを受けて
脱構築するような?
まあまあ、そうだね。
定義し直したりとか?
海岸に流れ着いたゴミでアート作品を作る人がいるしさ、それはまた環境問題に通ずる話だしさ。
アートが、その、絵画的な意味合い、色の良さ、形の良さ、その斬新さ、だけじゃなくて、別の意味合いとか価値観みたいなものを織り込んで、変化していって、新しいその、メディアと言うか、絵画的価値以外の、情報を伝えるメディアになって言ってるわけなんですよ。
そこに主眼を置くと、なんか、その、例えば、美術好きが、「あ、この絵の柄が綺麗」とか言っても別にしょうがないわけなんですよ。
それくらいの判断しかできないのはしょうがないということ?
あ〜そうだね、それぐらいの判断しかできなくても、その見てくれからは、そういう文脈をさ、深くまで読み込むのは難しいから、浅く入っちゃうのはしょうがないけど、でも、そのアートの文脈に主眼を置くと、そんな浅い入り方じゃ、良くないというかさ。
平たく言うとそういうことね。
そんなこと言ってもしょうがないだろってなっちゃう。
そういう話を受けて言うとさ、お前の絵にもそう言ったなんか要素があるわけ?
ない。
あ、ないんだ
じゃあお前の絵に関しては、見たまま受け取ってほしい、ということ?文脈とかそういうものはなくて、ただそのお前の絵を見た時に思った、その個人の感情とか、反応が一番正しいことになるの?
いや、違う。
別に何かを受け取って欲しいとか、無い。
俺は現代人だからね、今までその、知識的なことは、ちょっとぐらい頭に入ってるし、絵もいくつも見てるし、でもその上で俺はこういう流れの上に乗って、こういう変化起こしていきたいな、みたいことも思わないし、なんかすげー人の絵を描くときは、ナチュラルに人を書こうと思うし、抽象画みたいなものを描くときは何も思わずに、その、ある一つの衝動みたいなところに任せて描いてる訳だから。
なるほどなるほど
コンセプトを作ってみたいなこともね、思ったりはしたけどね、全然、からっきしだね。
上手く行かない。
上手くいかないと言うか、そんなことは俺のすることじゃないって気がするよね。
なるほど。
全然なんか借りてきた服を着てるみたいな感じになっちゃうんだよ、しっくりこない。
今の話を聞いてpaleのジャケに選んだのは間違ってなかったんだなって言うのはよく解りましたね笑
笑
ま、似た者同士かもね笑
そうかもね笑
良くも悪くも笑
まあ、でもある意味時代的なところを反映してるとは思うな、お前の考え方は、ある意味。なんと言うか、みんなが本当は抱えてる虚無感と言うかさ
虚無ねー。
そういう虚無感みたいなのはその、万人はあんまり受け取りたがらない気もするけど
そうじゃない世代もいるから、俺より上の世代とか、俺らの世代でもこういうことを考えたことない奴もいるし、いやそうじゃないだろって思って、ちゃんと動いてる人もいるけど、割となんか俺達ぐらいの歳の人が持ってる、そういう虚無感とかどうにもならなさみたいなのって、そこに尽きるなと思うんだよね。
良いこと言った!
結構そういう風なこと思ってpaleで曲作ったりしてるからね
へー!そうなんだ!
一緒じゃん!じゃあ!
そうだよ、大体笑
今時の若者って感じ。
あ、でも文脈や背景をさ、積極的に引き受けてく人たちもいるよね、俺らとか俺らの下の世代とか。
そういうのでもねぇんだよな、そういうとこにコミットできないんだよな、なぜか
あー、そうだよね。
でも本当はそういう人の方が強いし、前にでてくるのはこういう人達なんだよね。
その虚無的なところをちゃんと自分なりに背負えると言うかさ、なんかパワーに変えるというか。
俺らは何かそれに飲み込まれちゃってる中で、飲み込まれたまま何かしようみたい感じと言うか...
どうだろうね。
ま、でも、そこに俺らのリアリティがないからしょうがねえよな。
リアリティ?
現代まで色々があってさ、ね、今一番時代の最先端な訳じゃんで、そこの主流みたいなとこがあるわけじゃん、そこに乗っかって、そこにリアリティを感じて、表現とかを開拓してる人もいるじゃん、でもそのメインストリームみたいなにはさ、あんまピン来てねぇんじゃん、来てたらそっちに行くじゃん、でもそうじゃない方法というか、そうじゃないとこにさ、何か感じてんじゃねーかって思う。(終)
ポストブラックメタルバンドで外タレ招聘をやることになった件の前に。
お久しぶりですpale渡辺です。
前回の投稿が7月19日...
watashifusa.hatenablog.com
第2回の投稿が10月...
某店主ブログに「どうせあいつは三日坊主(※語弊)的なことも書かれ
そんな訳無いじゃん!俺、張れるもん!と内心憤っていたのですが、まさに予感が的中した形ですね...
違うんです!
これには言い訳がましい理由があるんです!
前回のブログで今後バンド関係の話題を書いていく!と表明したのですが、
先だってリリースいたしました、弊バンドのEP、
これのリリースにまつわる話を書こうと思っておりました...
これがまた聞くも涙語るも涙のそれはそれ色々なことがあった訳で...
この件に関する顛末を、それはもう事細かに書こうと考えておりました。
ですが実際に文章をしたためてみると、これがもうエビデンスが足りない足りない...
平日の昼間に突然、「今日〇〇するから、〇〇を送ってくれ、もう時間が無い」とか。
(皆様に違和感無くお伝えする為に、柔和な色にて表現しております。)
こちらに事前の周知無しに、〇〇を〇〇してたりとか。(皆様にて良い感じの文言を加え、補完して下さい。)
全く聞かされてない利率の話が出てきたりとか。(ウルトラ笑顔)
これどこの営業マンだ!?と思いながら、毎晩胃をキリキリさせつつやり取りしていたアノ日々、、、
ですがこういった苦労とは裏腹に、やり取りの内容が大まかにはそろっているものも、
記事にするには微妙に信頼性が足りないというものになってしまいました。
しかも、時を同じくして海外レーベルや、興行関係のトラブルに関するツイートや記事が散見されて、、、
これは迂闊に記事には出来ないぞと...
という訳で、中々記事投稿できない状況が続いていたのです。
実際の所、ローカル・DIY色が強いシーンの中で、色々ことを荒立てる必要もあるのか?という気持ちもあるのですが、
やはり何かと事前に分かっている中で話を進めるのと、そうでないのでは大きな違いがあるなと...
なのでいずれ記事としては書くつもりで、告発というよりは予防策として何かに役立てていただきたい。
という気持ちです。
ですので、諸々の情報を整理かつ、すべての物事が終るまで、記事には出来ないという判断に至った次第です。
ただ、連絡貰えれば、話としてはお伝えは出来るので容赦なく連絡ください。
これ以上哀しいモンスターを野に放ってはいけない...
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今回の記事はここまでになりますか?
いいえ、一つだけ告知させて下さい!
11月にpaleでデンマーク産ブラッケンドハードコアHEXISの来日招聘を行ないます!
招聘とはいえpaleが具体的に絡んでいるのは17日、18日、21日になりますが。
ご協力いただいた関係各所の皆様、大変ありがとうございます!
次回はHEXISツアー前に書きたいな...
わたしはポストブラックメタルブログを始める事になったんだ。
バンドに関する覚え書き。
先日(2018.7.18)、明日の叙景や冬蟲夏草(not冬蟲火虫,not冬蟲火草)、nhommeら仲の良いバンドと集まって会議をしている中で、仕事の仕様書を自宅でタイピングするのが面倒くさく、音声吹き込みで作成した所、だいぶ捗ったという話がでた。
今こうやって自分が文章を記述している様に、口頭で「てん」「まる」と句読点を口に出して文を書くというもので、一見可笑しくも見えるが、タイピングの手順を挟まない分、即時に言語化・文章化できるので、大分手がかからなくて良いという話だった。
他にも、そういったタイピングを挟まない文章構成というのは、一度自分の中で文章の起承転結を決めてから書き出さないと話として成立しない、のも一つ問題だねということや、それに付随してタイピングばかりだと一度文章をざーっと書いてから構成していく方法に慣れてしまい、ペンを持って紙に書く行為に違和感を覚えたという話にもなった。
今回のブログはその前置きを無視してタイピングで書き進めているが、何故この話になったかというと、勝間和代もそういった口頭記述でブログを書いていたという話題になり、ブログで情報発信するのはなんにせよ良いという話になってこうやって筆をとった次第。
(確かに、勝間和代のブログ記事を見ると、口語的な文章を、口頭で、記述している意識が、句読点からも読み取れた。)
では早速本題に入りたいと思う、以前TLに自分の思考をブログとして垂れ流すと人が集まるというツイートを見て「そんなん、嘘やん」と半信半疑ながらも、それは手間がかからなくていいなと思っていた。
自分が意識的に見るブログは小林銅蟲の「パル」位なものなんだけれど、彼のブログはとても面白いし、確かに彼のライフワークともいえる、美味しいものを作る為ならなんでもする精神は彼の趣味・趣向の垂れ流しに近いんでは、、、
ということで、自分にとってのライフワークといえる「バンド活動」について、暫定国内に2~3バンドしか存在しないのではという、超ニッチジャンルPost-Black Metal/Blackgaze 「pale」くんでの活動内容をつらつらと書き連ねていくブログが始まります!